②まな板の鯉【子宮内膜全面搔爬術】
2021年3月。
投薬・全面搔爬治療か子宮全摘か。
究極の選択を迫られ、折衷案で子宮内膜全面搔爬術を希望した。(子宮内膜全面搔爬術は、名称が違うだけで中絶手術と同じ内容)
まずは内膜の組織を病理検査してもらい、子宮体がんになっているかどうか調べてもらうことにした。
血液や尿検査など慌ただしく術前検査を終え、2週間後に手術となった。
新型コロナウイルスの流入を防ぐため、入院前の2週間は、同居人も含めて県外との往復や県外者との接触は禁止。
入院申込書の連帯保証人は生計を別にした人ということだったが、引越してきて県内に知り合いがいない。結局、旦那が保証人にサインした。
手術前日21時から絶食、当日は朝9時から絶飲食。
朝9時、入退院窓口に着く。
身長や体重を計測して、手術の同意書などを提出し診察室へ。
「失神する人もいるので、気分が悪くなったらすぐ言ってください」
内診台で足を開き、ラミセルという子宮口をひらくタンポンのようなものを挿入された。
内側から、生理痛のひどいときのような痛みが走る。
挿入のあいだ、こわくて息を止めていたので、内診台がおりると血が一気に下がってめまいがした。
すぐに立ち上がるとまずい気がしてそのままでいると、看護師がすぐさま血圧を測ってくれた。
腕をとった瞬間、
「どうしたんですか。もしかして寒いですか? 体が冷えきってますよ」
驚いたように手をさすってくれた。
マスクをしていて表情が見えないので、声やしゃべり方で明るく装うことはできる。でも体は正直だ。
「あ~ものすごい緊張してるんで、たぶんそのせいです」
すぐにめまいは止んで、のろのろと下着を身につける。異物感はあるが、すでに痛みはなくなっていた。
転倒したらいけないからと車椅子に乗せられ、どうせ日帰りだと思い希望していた4人部屋へ移動する。
どこでもいいと言われたので、トイレ横のベッドを選んだ。
病衣に着替え荷物の整理をしていると、先にいた患者は退院して、入室者はわたしだけになった。
10時45分、栄養補給の点滴を開始。緊張がほどけず、左腕に注射針が入らない。やむなく右腕になった。
担当看護師Aさんは同年代に見えた。
「こちらに知り合いがいないんでしたよね。何でもいいので言ってくださいね」
さっそく入院計画書にサインをして、手術までの流れを聞く。頭の中でシミュレーションすることで少し不安がおさまってきた。
「あの、もうちょっとだけお時間いいですか?」
Aさんは腰をおろして快く話を聞いてくれた。
円錐切除術のこと、子どもたちのためにできることをしたいという気持ちで本を通じて仕事をしてきたこと、最後はコロナ蔓延防止休校で子どもたちに挨拶できずに引越したこと。沈殿していた脈絡のない思いを聞いてもらう。
考えてみれば、引越してきてから旦那以外の人とほとんど会話らしい会話をしていない。子どももおらず、新しい仕事にも就いていないので人との交流がないし、買い物以外で外に出ることもなかったのだから当然といえば当然だが。
「働いているとき、そんなに子どもが好きなら、他人の子どもをみるより自分の子どもをはやく産んだほうがいいって言われたんです。ご自身の経験から親切で言ってくれてるのもわかるし、体力的にもその方がいいってわかるんですけど。他人の子どもだってかわいいんですよ」
そう口にしたとき、まったく予想していなかったことに涙がぼろぼろ流れた。
なんで涙が出るんだろう。わたしはあの子どもたちにまた会いたいのかなと思った。
Aさんが辛抱強く話を聞いてくれたおかげで、話すほどに緊張から解放されていった。
ラミセルも時間が経つほどに違和感がなくなっていった。
トイレのときには落ちないかハラハラしたが、そう簡単に落ちることはなく、手術前には座ったときに違和感がある程度だった。
12時55分、手術室へ。
13時、手術台にあがって準備が始まる。円錐切除術のときとは違い、意識がある状態で、足を開いて金具で固定され下半身がシートで覆われた。
胸に心電図の計測パットが貼られると、早鐘を打つ大きなデジタル音が響く。
「緊張してるんですね。手も冷たいし」
看護師に手をさすられた。
「今から麻酔を入れます。効いてくると舌がぴりぴりしてきて、だんだん眠くなって意識がなくなります。まれに麻酔が効かない人もいるんですが、手術は5分くらいで終わりますよ」
たしかに眠たくはなっていたが、意識があるうちに患部の消毒が始まってしまった。何かが膣にねじこまれる。
「痛い!!!」
そう思った瞬間、意識が落ちた。