投薬と搔爬術を6ヶ月うけるか、子宮全摘出術をうけるか。
検査としての子宮内膜全面搔爬術をうけて、判断を先延ばしにした。
検査の結果、癌が進行している部分は見られず、子宮内膜異型増殖症と診断された。
子宮内膜異型増殖症は子宮体がんの前がんだ。
希望すれば、保険の範囲内で子宮全摘出術をうけられる。
医師いわく、投薬と搔爬術による再発率は70%。
裏を返せば治癒率は30%ということだ。
「再発率70%は高いよね」と捉えるか「治癒率30%は高いよね」と捉えるか。
いろいろな理由をあげて、最後まで医師は投薬と搔爬術を勧めた。
子どもを一人も産んでいないということ。
35歳という年齢は妊娠できる可能性があるということ。
再発率は確かに高いが、治癒する可能性もあるということ。
産婦人科医として、医師として、子宮を残せるならそれに越したことはないということ。
わたしはわたしで、理由を探していた。
投薬と搔爬術を選ぶ理由。全摘出術を選ぶ理由。
子宮をとる理由。とらない理由。
そもそも、わたしは子どもを産み育てたいのだろうか。
たしかに子どもは好きだ。子どものために何かできることはないだろうかと思い、本と子どもをつなぐ仕事をしてきた。
しかしそれは「決められた時間内」で「仕事」だからできたのではないか。
たしかに仕事をつうじて、子どもの成長に対する喜びや学びはあった。
自分の子どもに対しては、それに勝る喜びが確実にあるのだろうと想像もできる。
しかしそれ以上に、四六時中世話が必要な子どもと一緒に過ごすことに耐えられるだろうかという不安がぬぐえない。
「決められた時間内」の「仕事」であれば我慢できても、自分が産んで育てることへの責任に恐怖がつきまとう。
加えて、わたしは一人になれる時間がどうしても必要な人間だ。
子どもの頃から、家族でも他人でも、人が常にそばにいるという状態が苦手で、一人になれる時間がないと心身ともに如実に不調が現れる。
子どもができにくい体という実感もある。19歳で自覚した不正出血や無排卵。以来、低用量ピルを服用してきた過去もある。
搔爬術で、手術中に目覚めた恐怖はまだ記憶に新しいこともあった。静脈麻酔の副作用(わたしの場合、吐き気と頭痛だった)も毎回耐えなければいけない。投薬でまた大量に出血するかもしれない。
これらを乗り越えて、さらに不妊治療をうけて、子どもを産めるのだろうか。
いや、「産める」かじゃない。
「そこまでしてでも産みたいのか?」だ。
きっと「そこまでしてでも産みたい」という気持ちがあったなら、もっとはやい段階で何らかのアクションを起こしていたと思う。
のらりくらりと「産む」選択を先延ばしにしてきたことが、すでに答えになっているのではないだろうか。
最後の分かれ道に立った。選んだのは子宮全摘出術の道だった。