⑤ふたたび【腹腔鏡下子宮全摘出術・術前検査】

腹腔鏡下子宮全摘出術が決まった。

腹腔鏡手術のメリットは開腹手術よりも回復が早いことだ。

 

通院可能な距離で腹腔鏡手術できる病院は、ここともう1軒だけ。つくづく前医の先見の明に感謝したい。

 

手術10日前。

術前検査として採血、心電図、胸部レントゲン、MRI造影検査を行う。

初めてのMRI。貴金属類はもちろん、メガネやコンタクトレンズ、入れ歯、スマホ、キャッシュカードなどはとる。化粧品のなかには金属をふくんでいるものがあるため化粧をおとす。ヒートテック(吸収発熱下着)もだめ。

狭いところに入って、診察台が揺れて、耳元でガチャンガチャンと大きな音がするなんてちょっとこわい。

音楽が流れるヘッドフォンを装着して、診察台に横たわり目をつむる。いつのまにか寝ていた。

造影剤の副作用はなく無事に終えた。

 

8日前は麻酔科診察と家族説明。

薬剤師の問診。アレルギーがないかなどの確認。ピルを服用していることを伝えた。

ここで、本来なら手術の4週間前にピルの服用を中止しなければいけなかったことが発覚。主治医に判断を仰ぐことになった。

硬膜外麻酔と全身麻酔の説明を受ける。硬膜外麻酔は横向きになって背中を丸めていれる。術後も下半身の痛みをとる麻酔を注入するため、糸くらいの細いチューブを一緒に入れるらしい。全身麻酔は前年に続いて2度目。

 

主治医からの家族説明には旦那に同席してもらった。

麻酔科で発覚したピルの服用問題。血栓症のリスクがあがるため中止する必要があったとのこと。前回の診察でもらった入院の案内に「薬は継続してください」と指示があったので続けていたのだが……。薬の影響が抜ける時期に手術を延期する提案があったが、妊婦のほうが何倍も血栓症のリスクは高いと聞き、予定通りに手術を受けることにした。

手術時間は約5時間。

手術の担当は主治医(初老男性)ではなく女医(30代)が担当するらしい。前回の全面搔爬術のあと、看護師Aさんに「女医がいい」と呟いたのが叶ったのかも。

手術説明書や入院中の予定表、手術同意書と同意撤回書を渡された。

④選んだ理由【子宮内膜異型増殖症】

投薬と搔爬術を6ヶ月うけるか、子宮全摘出術をうけるか。

検査としての子宮内膜全面搔爬術をうけて、判断を先延ばしにした。

検査の結果、癌が進行している部分は見られず、子宮内膜異型増殖症と診断された。

子宮内膜異型増殖症は子宮体がんの前がんだ。

希望すれば、保険の範囲内で子宮全摘出術をうけられる。

 

医師いわく、投薬と搔爬術による再発率は70%。

裏を返せば治癒率は30%ということだ。

「再発率70%は高いよね」と捉えるか「治癒率30%は高いよね」と捉えるか。

 

いろいろな理由をあげて、最後まで医師は投薬と搔爬術を勧めた。

子どもを一人も産んでいないということ。

35歳という年齢は妊娠できる可能性があるということ。

再発率は確かに高いが、治癒する可能性もあるということ。

産婦人科医として、医師として、子宮を残せるならそれに越したことはないということ。

 

わたしはわたしで、理由を探していた。

投薬と搔爬術を選ぶ理由。全摘出術を選ぶ理由。

子宮をとる理由。とらない理由。

 

そもそも、わたしは子どもを産み育てたいのだろうか。

 

たしかに子どもは好きだ。子どものために何かできることはないだろうかと思い、本と子どもをつなぐ仕事をしてきた。

しかしそれは「決められた時間内」で「仕事」だからできたのではないか。

 

たしかに仕事をつうじて、子どもの成長に対する喜びや学びはあった。

自分の子どもに対しては、それに勝る喜びが確実にあるのだろうと想像もできる。

しかしそれ以上に、四六時中世話が必要な子どもと一緒に過ごすことに耐えられるだろうかという不安がぬぐえない。

「決められた時間内」の「仕事」であれば我慢できても、自分が産んで育てることへの責任に恐怖がつきまとう。

 

加えて、わたしは一人になれる時間がどうしても必要な人間だ。

子どもの頃から、家族でも他人でも、人が常にそばにいるという状態が苦手で、一人になれる時間がないと心身ともに如実に不調が現れる。

 

子どもができにくい体という実感もある。19歳で自覚した不正出血や無排卵。以来、低用量ピルを服用してきた過去もある。

搔爬術で、手術中に目覚めた恐怖はまだ記憶に新しいこともあった。静脈麻酔の副作用(わたしの場合、吐き気と頭痛だった)も毎回耐えなければいけない。投薬でまた大量に出血するかもしれない。

これらを乗り越えて、さらに不妊治療をうけて、子どもを産めるのだろうか。

 

いや、「産める」かじゃない。

「そこまでしてでも産みたいのか?」だ。

 

きっと「そこまでしてでも産みたい」という気持ちがあったなら、もっとはやい段階で何らかのアクションを起こしていたと思う。

のらりくらりと「産む」選択を先延ばしにしてきたことが、すでに答えになっているのではないだろうか。

 

最後の分かれ道に立った。選んだのは子宮全摘出術の道だった。

③余韻【子宮内膜全面搔爬術】

「ウッ」

突然意識が戻った。視界はぼんやりとしていて、照明と酸素マスクの端が見える。

 

まさかと思った。

手術中という最悪なタイミングで麻酔が切れたらしい。

 

まだ子宮を器具でまさぐられている。

なぞられる感触が分かるだけならまだしも、痛い。ものすごく痛い。

でも、ここでへたに動いて子宮に傷がついたらいやだ。

痛みと理性が闘い、徐々に意識がはっきりしてくるのに、舌が麻痺して言葉が出ない。

 

息を意識的に押し出して、なんとかうめき声がでた。

左側にいた看護師が異変に気づいてくれた。

「目が覚めました? あとちょっとですよ、頑張って。あとちょっと」

手を握ってくれた。

うめき声しかでないのがもどかしい。

痛みのあまり、看護師の手を強く握り返した。

「もしかして痛い?」

気持ちとは裏腹にのろのろとしか動かない頭で必死に首をふり、うめき声を出し、看護師の手が折れそうなほど強く握り返した。看護師が何かやりとりをしているあいだ、医師の声がかすかに聞こえてくる。

「あとちょっとだよ」「もうすこしで終わりますからね」「終わりました」

麻酔が追加されたのか、また意識が落ちた。

 

ベッドにうつされるときに意識が戻り、またすぐに意識が落ちた。

 

医師や看護師が何度か病室に来ると気配で意識が戻るが、目の焦点が合わず体の感覚がない。起き続けていられず、寝て意識が戻るのを繰り返し、うつらうつらが続く。

 

なんとか起きあがれるようになって時間をみると16時になっていた。

13時から始まった約5分の手術で、3時間も寝て起きてを繰り返していたことになる。

看護師の付き添いでふらふらしながらトイレに立つと、布団に血がもれていた。麻酔がまだ効いているのか、下腹部の痛みはまったくない。

 

しかしここからが長かった。

とにかく頭がぼんやりするのと、立ち上がると吐き気が止まらなくなる。

夕方に帰れると言われて日帰り入院になっていたが、「一泊しますか?」と何度も聞かれた。

公共機関かタクシーで帰宅するつもりだったのに、どうにもならず旦那に迎えに来てもらうことにした。

それでもすぐには起き上がれず3時間近く待たせることになった。

車椅子で駐車場に移動し、ようやく帰宅したときには20時を過ぎていた。

 

出血も下腹部の痛みもほぼなかったが、麻酔の影響は抜けず、吐き気は翌朝まで続き頭痛は夜まで続いた。

 

この痛い経験で、ヒスロン500㎎を6ヶ月間服用しながら、子宮内膜全面搔爬術を最低3回も受けるのはイヤだと思った。

治療を受けたとしても再発率が70%だということも背中を押す。

子宮内膜増殖症(異型なし)が見つかってヒスロン5㎎の投薬治療をしたが、わずか10ヶ月で子宮内膜異型増殖症が見つかるという経験をしただけに、たとえ5㎎から500㎎に投薬量を増やして治療しても、やはり再発するんじゃないかという疑問がつきまとう。

再発すれば、また同じ治療をすることになるか、進行すれば子宮全摘になるのは目に見えている。

便かもしれないと前置きしたうえで、エコーで卵巣が白く見えると言われたことも気になっていた。

投薬と搔爬で治癒した時点で、すぐに不妊治療を始めればいいかもしれないが、そう都合よく子どもができるかも分からない。

 

そもそも。

わたしは子どもを産みたいのだろうか。

②まな板の鯉【子宮内膜全面搔爬術】

2021年3月。

投薬・全面搔爬治療か子宮全摘か。

究極の選択を迫られ、折衷案で子宮内膜全面搔爬術を希望した。(子宮内膜全面搔爬術は、名称が違うだけで中絶手術と同じ内容)

まずは内膜の組織を病理検査してもらい、子宮体がんになっているかどうか調べてもらうことにした。

血液や尿検査など慌ただしく術前検査を終え、2週間後に手術となった。

新型コロナウイルス流入を防ぐため、入院前の2週間は、同居人も含めて県外との往復や県外者との接触は禁止。

入院申込書の連帯保証人は生計を別にした人ということだったが、引越してきて県内に知り合いがいない。結局、旦那が保証人にサインした。

 

手術前日21時から絶食、当日は朝9時から絶飲食。

朝9時、入退院窓口に着く。

身長や体重を計測して、手術の同意書などを提出し診察室へ。

「失神する人もいるので、気分が悪くなったらすぐ言ってください」

内診台で足を開き、ラミセルという子宮口をひらくタンポンのようなものを挿入された。

内側から、生理痛のひどいときのような痛みが走る。

挿入のあいだ、こわくて息を止めていたので、内診台がおりると血が一気に下がってめまいがした。

すぐに立ち上がるとまずい気がしてそのままでいると、看護師がすぐさま血圧を測ってくれた。

腕をとった瞬間、

「どうしたんですか。もしかして寒いですか? 体が冷えきってますよ」

驚いたように手をさすってくれた。

マスクをしていて表情が見えないので、声やしゃべり方で明るく装うことはできる。でも体は正直だ。

「あ~ものすごい緊張してるんで、たぶんそのせいです」

すぐにめまいは止んで、のろのろと下着を身につける。異物感はあるが、すでに痛みはなくなっていた。

転倒したらいけないからと車椅子に乗せられ、どうせ日帰りだと思い希望していた4人部屋へ移動する。

どこでもいいと言われたので、トイレ横のベッドを選んだ。

病衣に着替え荷物の整理をしていると、先にいた患者は退院して、入室者はわたしだけになった。

 

10時45分、栄養補給の点滴を開始。緊張がほどけず、左腕に注射針が入らない。やむなく右腕になった。

担当看護師Aさんは同年代に見えた。

「こちらに知り合いがいないんでしたよね。何でもいいので言ってくださいね」

さっそく入院計画書にサインをして、手術までの流れを聞く。頭の中でシミュレーションすることで少し不安がおさまってきた。

「あの、もうちょっとだけお時間いいですか?」

Aさんは腰をおろして快く話を聞いてくれた。

円錐切除術のこと、子どもたちのためにできることをしたいという気持ちで本を通じて仕事をしてきたこと、最後はコロナ蔓延防止休校で子どもたちに挨拶できずに引越したこと。沈殿していた脈絡のない思いを聞いてもらう。

考えてみれば、引越してきてから旦那以外の人とほとんど会話らしい会話をしていない。子どももおらず、新しい仕事にも就いていないので人との交流がないし、買い物以外で外に出ることもなかったのだから当然といえば当然だが。

 

「働いているとき、そんなに子どもが好きなら、他人の子どもをみるより自分の子どもをはやく産んだほうがいいって言われたんです。ご自身の経験から親切で言ってくれてるのもわかるし、体力的にもその方がいいってわかるんですけど。他人の子どもだってかわいいんですよ」

そう口にしたとき、まったく予想していなかったことに涙がぼろぼろ流れた。

なんで涙が出るんだろう。わたしはあの子どもたちにまた会いたいのかなと思った。

Aさんが辛抱強く話を聞いてくれたおかげで、話すほどに緊張から解放されていった。

 

ラミセルも時間が経つほどに違和感がなくなっていった。

トイレのときには落ちないかハラハラしたが、そう簡単に落ちることはなく、手術前には座ったときに違和感がある程度だった。

 

12時55分、手術室へ。

13時、手術台にあがって準備が始まる。円錐切除術のときとは違い、意識がある状態で、足を開いて金具で固定され下半身がシートで覆われた。

胸に心電図の計測パットが貼られると、早鐘を打つ大きなデジタル音が響く。

「緊張してるんですね。手も冷たいし」

看護師に手をさすられた。

「今から麻酔を入れます。効いてくると舌がぴりぴりしてきて、だんだん眠くなって意識がなくなります。まれに麻酔が効かない人もいるんですが、手術は5分くらいで終わりますよ」

 

たしかに眠たくはなっていたが、意識があるうちに患部の消毒が始まってしまった。何かが膣にねじこまれる。

「痛い!!!」

そう思った瞬間、意識が落ちた。

①究極の選択【子宮内膜異型増殖症】

2021年3月。

子宮頸がんと子宮体がんの検査結果を聞きに行く。

子宮頸がんは陰性。

しかし、子宮体がんの検査結果は、子宮内膜異型増殖症だった。

前年の円錐切除術の際に見つかったのは子宮内膜増殖症だった。

今回は子宮内膜異型増殖症。つまり、子宮体がんの初期(前がん)が見られるということ。

 

ヒスロンの服用中止から10ヶ月。

前医はこうなることも見据えて、大きな病院を勧めたのだろうか。

ピルの処方だけなら開業医に転院したいと告げた矢先のことで、絶妙なタイミングだった。

 

検査結果から、究極の2択を提示された。

 

子どもがほしいなら、6ヶ月間ヒスロン500㎎を服用しつつ、2ヶ月に1度子宮内膜全面搔爬術を受ける。ただしこの方法は再発率が70%だという。

 

もうひとつの選択肢は、子宮の全摘出だ。子どもは産めなくなるが、再発の心配はなくなる。

 

医師には、ヒスロンの服用と搔爬術の併用を勧められた。

年齢的にもまだ妊娠の可能性はあるというのがその理由だ。

じっくり考えて、旦那とも相談して、次回来院したときにどうするか教えてほしいと言われた。

 

でも、と思う。

誰に相談したとしても、これはわたしの体の問題だ。

決めるのはわたしで、すべてはわたし次第なのだ。

 

そう思った瞬間、これまでの経験や不安が一気に頭を巡った。

子宮頸がんでは、手術前にすでに上皮内癌に進行している部分があった。浸潤する前に食い止められたのは幸いだった。

子宮内膜増殖症の治療でヒスロン5㎎を服用してから10ヶ月しかたっていない。5㎎でも大量の出血とごろごろ出てくるかたまりで苦しんだ。500㎎だったらいったいどうなるんだろう。それと併せて2ヶ月に一度手術するということは、最低でも3回手術を受けるということ。薬代に手術代に診察代……。

 

えーい、迷っていてもしかたない。とにかく一歩前へ。

わたしはその場で決めた。

「子宮内膜全面搔爬術で、浸潤した部分がないか詳しい検査をしてもらえませんか」

医師は可能だと言った。

 

これで全面搔爬術がどういった手術なのか分かるし、3回受けることに耐えられるかどうかの判断もできる。

検査結果でもし浸潤している部分があれば、転移する前に子宮全摘にしよう。

 

2週間後に子宮内膜全面搔爬術を受けることになった。

③願わくばこのまま【低用量ピル】

2020年春。

新型コロナウイルスの影響で、里帰り出産を断られた妊婦がいるというニュースが出ていた。地域によっては、コロナ患者の対応のために通常の診察や手術ができないほど逼迫しているといわれていた。

 

県外への引越しで問題になったのは、転院先だった。そもそも転居前の土地に比べると病院の数が少ないのだ。

医師は、産婦人科のある医療体制が整った大きな病院のほうがいいといった。

そうなると候補は2カ所。車で20分の病院か、1時間かかる病院か。

ピルを処方してもらうとなると通院することになる。土地勘のない場所を苦手な運転で通院し、不測の事態が起きたときにも行けるだろうか。

そう考えると、車で20分の病院の選択肢しかないように思えた。

コロナの状況によっては転院を断られるかもしれないと言われたが、幸いにも受け入れてもらえた。

 

子宮体がん検査の結果は陰性で、内膜の厚みも正常範囲。

そこでヒスロンの服用を中止して、低用量ピルに切り替えることになった。

「ピルを処方しておくので、次の生理が始まったら服用を開始してください。そのあとどうするかは転院先の医師と相談してください」と言われた。

 

引越しがおわり、新しい生活が始まった。

しかし。

待てど暮らせど生理がこない。

4回目のヒスロンの服用後に出血して以降、生理がこないのだ。

このままないのか、それとも突然くるのか。

 

結局ピルの出番がないまま2ヶ月がたち、指定されていた転院先の初診日がきた。

「内膜は2ミリしかないです。ホルモンの分泌がうまくいってないんでしょうね。子宮頸がん検査をしておきましょう。子宮体がん検査は1年に1回でいいでしょう」

男性医師はそう言った。

待っていても生理はこなさそうなので、今日から処方されたピルを服用していいとのことだった。20代で服用していた低用量ピルと同じく、21日間服用して7日間休薬するタイプだ。

「休薬期に出血がないこともありますが、気にせず日付で管理して服用してください。低用量ピルは服用開始1~2年は血栓症になりやすいですが、その後は飲み続けて大丈夫です。服用してある程度したら血液検査をしましょう。ピルの処方は初めての時は1ヶ月分しか出せませんが、その後は3ヶ月分処方できます」

 

1回目の休薬期間には出血はなかったが、2回目の服用中にようやく出血があった。

前回の出血から3ヶ月ぶりだ。3回目の服用中には、数日ほど両胸全体が痛くなった。下着が触れるのも痛い。20代の服用中にはなかったと思うが、これはピルの副作用らしい。

その痛みもなくなり、出血もほどよい量が出て、きちんと止まるようになった。

 

そうなると、20分かけてやって来て、短い診察以上の待ち時間を過ごす、この病院にくる理由がわからなくなってきた。

ピルの処方だけなら、家の近くにある開業医でいいのではないかという考えが頭をもたげてきたのだ。

 

転院して7ヶ月たった、2021年3月。

家の近くの病院に移りたいので紹介状がほしいと伝えた。

しかし、その話は立ち消えになった。

あらたな問題が見つかったのだ。

②体中の血液が出ていくところ【子宮内膜増殖症(異型なし)】

子宮内膜増殖症(異型なし)が発覚し、その治療としてヒスロンの服用を開始した。

医師が言うには、子宮内膜増殖症はホルモン分泌異常をベースとした内膜の過剰反応らしい。

思わずこう聞いた。

「子宮はニワトリの卵くらいの大きさしかないのに、長期間大きなかたまりがごろごろ出てきて、あんなに大量に出血するものなんですか? もしや子宮が大きくなってるとか……」

「体中の血液が子宮に集まって、内膜や出血として体外に出続けているんですよ。だから生理になると貧血になるんです。たしかにびっくりしますよね。とくに産婦人科(子宮)は出血量が多いんです。他の科の医師ですら、こんなに出血して大丈夫なんですかって言うくらいですから」

 

1回目の服用期間(2週間)後の休薬期間(2週間)は、出血量もかたまりが出てくる量も多くてつらかった。

sakonjiminori.hatenablog.jp

 

2回目の服用期間内(8日目)の診察で、子宮頸がん検査と内膜の厚みを見てもらう。内膜は10ミリあると言われた。2回目の服用期間は出血がなかったが、12日目からおりものにうっすら血がまじりはじめた。休薬期間になると、ときおり出血が多くかたまりがぽろぽろ出てくるものの、前回ほどではなかった。子宮頸がん検査は陰性。

 

しかし3回目は服用期間中(7日目)からふつう量の出血があり、細かいかたまりも出始めた。休薬期間(4~10日目)には、出血量が多く、3~6センチのかたまりがひっきりなしに出てくるので1時間おきに25センチナプキンを替えた。処方してもらっていたクエン酸第一鉄ナトリウム錠を服用した。

 

4回目の服用期間は出血なし。休薬期間(1~5日目)には腹痛でロキソニンを服用したが、出血量はそれほど多くなく、1センチのかたまりがいくつか出た程度だった。6日目にどっと出血して6センチのかたまりが出たあとは止まった。8日目の診察で、子宮体がん検査と内膜の厚みを見てもらうと5ミリになっていた。

 

ヒスロンを4ターン(3ヶ月)服用して思ったのは、だんだん出血量が軽くなるとはいえ、2週間おきの大出血はつらいということ。

いつ出てくるか分からない大出血に悩まされていたのはたしかだが、2週間おきに必ずくる貧血とナプキンのとっかえひっかえもつらい。

しかも県外に引越す予定が、手術療養と治療のため延期になっていたのだ。

 

円錐切除術の影響(流産しやすい)で半年から1年避妊することになるなら、ピルの服用に切り替えることはできないかと相談した。

医師がいうには、子宮体がんの検査が出て増殖症が治っていれば可能とのこと。

ピルを服用しても妊娠は可能なので、生活が落ち着いてから妊活してもいい。妊活するとしたら、いきなり高度治療を受けるのではなく排卵誘発剤からスタートしてみることもできると言われた。

いったんヒスロンの服用は中止することになった。